何故、何時から薔薇に惹かれるようになったのだろうと考える事がよくあります。

 思えば私の中の記憶に残る薔薇のイメージというのは、幼い頃のブラウスにあったラ・レーヌ・ビクトリアのような薔薇の模様であったり、外国に憧れていた学生時代に、お小遣いを貯めて買っていたクラブツリー&イブリンの薔薇の石鹸やトワレであったり、クラシカルな薔薇がモチーフとして描かれているものが思い出されます。
私の場合、植物としての薔薇を育てる楽しみ、そのことよりも前に薔薇に対する視覚的なものとしての、その形や線に対する憧れがあったような気がします。



薔薇の花姿、ほっそりとした蕾、アーチングしたしなやかな枝ぶり・・・
古い絵画や美術品に表されている薔薇に強く魅力を感じていました。
ボッティチェリやルドゥテ、ファンタンラトゥールやチャールズレニーマッキントッシュ、
アールヌーボーの作家達、それぞれ時代も描かれる手法も異なりますが、
自分の知らないはるか昔の人々にとっても、薔薇は魅力ある素材であったに違いなく、
長い時間を経て絵画や工芸品の中に存在し続ける薔薇の姿に、感動を覚えたものです。
 モチーフとしての薔薇に対する憧れは、実際に大地に育つ薔薇の姿を見て、手をかけ
育てることで成長し、生命力に溢れる植物としての薔薇の魅力を発見させてくれました。
描かれた薔薇の繊細さからは、想像できないほどにたくましく力強い植物である事。
それは生産現場で四季それぞれに見せる薔薇の姿で強く実感しました。

ウエディング デイ/数見牧子
「  薔薇を想う  」
数見牧子
ファンタン ラトゥル
 薔薇つくりのスタートは全て小さなタネから始まり、芽接ぎを行う際にもほんの小さな「芽」が接がれ、それが翌年には一つの品種の一株として花を咲かせるわけです。これは驚異的な力だと思わずにいられませんでした。


 又、英国での滞在中、そこで出会った薔薇たちは、りんごの古木に絡んだり、古めかしいレンガの壁をつたい、昔のゆがんだガラスがはめ込まれた窓枠を被い、大きく成長した幹の根元はごつごつと太いものでした。それはまるで日本の盆栽で、梅や松の古木の幹を見せるのと同じような、幹の古さが時間の経過を感じさせ、数百年前に建てられたマナーハウスの重厚感とよく調和していました。

チャールズ レニー マッキントッシュ

シャリファ アスマ

ガートルード ジェキル

 生きている薔薇の思いがけない力強さ、それと同時に花開く頃の甘い香、花びらのみずみずしさ、花姿の繊細さ、この相反するあらゆる要素が時代や国、空間に関わらずそれを見て触れたものの心に何かを残してくれます。



 きっとこの先も薔薇がその花を咲か続ける限り、私たちを惹きつけ、色々な形でイメージされ記憶される事でしょう。

筆者